太宰治の〈女語り〉による女性表象と「饗応夫人」

 

 「饗応夫人」(昭和二三年一月)は太宰文学における〈女語り〉の系譜の最後に位置づけられる小説である。語り手「ウメちゃん」の視点から、彼女が仕える家の「奥さま」の自己犠牲とも言える饗応について語っていく物語になっている。戦後小説における「饗応夫人」の特異な点として、〈女語り〉による女性表象を行うという点が挙げられる。そこには、〈衰退する母〉と〈現実生活者としての女性〉のモチーフが変奏されているものの、女性による女性表象での独自的な展開もなされていることに問題意識を持った。ここでは〈女語り〉の系譜を振り返ると同時に、〈衰退する母〉と〈現実生活者としての女性〉という戦後太宰の女性表象の典型とそこからの逸脱を「饗応夫人」のなかに検討する。

 

 

 

〈女語り〉による女性表象を太宰文学の中に探すと、「饗応夫人」ほど二者間の関係が前景化されていないものも含めると、いくつかの例を挙げることができる。時代順に確認すると、まず例に出すことができるのは、〈女語り〉の方法が確立され始めた中期作品である、昭和一四年四月の「女生徒」である。語り手「私」の一日を語る形式を取りながら、しばしばその母親に言及して母子関係を描いている。同じく中期作品である、昭和一四年六月の「葉桜と魔笛」も例に挙げられる。男装の手紙を挟みながらではあるが、病弱な妹についての姉の語りが中心に据えられている。

戦後小説に時代は飛ぶが、昭和二一年六月「冬の花火」、昭和二二年七~十月『斜陽』も〈女語り〉による女性表象の小説に位置づけられる。前者は戯曲であり、主人公の「数子」が語り手ではないものの、彼女に焦点化されてその母「あさ」との関係が中心となっている点から広義に〈女語り〉の小説に含めた。加えて、『斜陽』と類似したテーマである美しい母を思慕する娘の関係が描かれている点からも重要視する。

以上に挙げた〈女語り〉による女性表象には、共通して裏切りのテーマ[1]を見ることができる。まず、中期作品の二つでは、愛憎の間での揺れを語りながらも、最終的には家族に尽くそうとする女性が描かれる。「女生徒」の「私」は、父亡きあとの母との関係に迷い、「考えてみると、このごろの、私のいらいらは、ずいぶんおかあさんと関係がある。おかあさんの気持ちに、ぴったり添ったいい娘でありたいし、それだからとて、へんにごきげんとるのもいやなのだ。」[2]という気持ちの揺れを語っている。同様に、「葉桜と魔笛」でも、物語の結末としては姉妹の美しい嘘のやり取りが描かれるのだが、一方では、姉の妹に対する「のけぞるほどに、ぎょっと致しました。妹たちの恋愛は、心だけのものではなかったのです。もっと醜くすすんでいたのでございます。私は、手紙を焼きました。一通のこらず焼きました。」「私は、妹の不正直をしんから憎く思いました。」[3]という嫉妬や憎悪も語る。二者の小説は、家族の愛を語りながらも、表象されている女性への愛憎の間で揺れる危うさを持った語り手の語りがある。

戦後の二作品では、両者とも美しき母に焦がれながらも、最終的にそれを裏切ってしまう娘が描かれる。「冬の花火」の「数子」は、「ああ、これも花火。(狂ったように笑う)冬の花火さ。あたしのあこがれの桃源境も、いじらしいような決心も、みんなばかばかしい冬の花火だ。」[4]と、母「あさ」の過去を知ったことの絶望のうちに故郷を捨てる。『斜陽』では、母を裏切る娘という側面がより強調され、語り手「かず子」が「お母さまは、幸福をお装ひになりながらも、日に日に衰へ、さうして私の胸には蝮が宿り、お母さまを犠牲にしてまで太り、自分でおさへてもおさへても太り」[5]と、「お母さま」を裏切って生きる娘が語りの上で描写されている。両者ともに、美しい母への思慕を表象しながらも、生き延びるために母を裏切っていく娘の語りがなされている。

そのような観点から「饗応夫人」に話を戻すと、語り手「ウメちゃん」の語りは、「奥さま」のお客への饗応を理解できないものとして語りながらも、同時に「奥さま」を心配する心情は常に持っており、だからこそ「奥さま」を救おうと奮闘する点で、裏切りのテーマには位置づけられない。加えて、語り手「ウメちゃん」が「奥さま」を救おうと切符を用意するものの、最終的に二人ともその切符を引き裂き、「ウメちゃん」もお客に饗応をする決意をする結末も、「ウメちゃん」の語りを超越していく「奥さま」の行為が描かれており、それによりそれ以前の「ウメちゃん」の語りが相対化されている。

 

本論に入る前に、「饗応夫人」の先行研究について概観する。野原一夫『回想 太宰治』には、「饗応夫人」のモデルである桜井浜江という画家の女性との思い出として、中央沿線の作家たちは桜井の饗応に度々あずかっており、太宰が「安心して甘えていたのだと思う」と回想されている。また、ウメちゃんのモデルと思しき「ずっと怒ったような顔をしていた」「背の高い女性」の存在も描かれている[6]。しかし実在のモデルの存在よりも、饗応という行為が「親友交歓」(昭和二一年十二月)、「桜桃」(昭和二三年五月)で太宰自身を彷彿させる主人公によって語られていることと結びつけ、太宰自身が感じた饗応の暴力性や、「「義」や「礼」を失した戦後自由主義便乗者への皮肉をこめた非難のまなざし」[7]を読みこむ解釈が主流である。「饗応夫人」の作品論は数が多いわけではなく、他の小説に比較すると未だ研究が進められていない小説と言える。飯田は中期太宰小説の手法として登場した「女性独白体」の系列に「饗応夫人」を位置づけ、語り手ウメちゃんの「超越的な批評性」を指摘しながらも、最後の行為によって奥さまが「肯定されるべき者」として逆転する構造を指摘する[8]。また、大國は、「饗応夫人」の鳥と笛の音の表象から太宰作品の音色についての言語空間について論じる[9]

先行研究では奥さまとウメちゃんの関係に着目したものが多く、笹島をはじめとする客たちに対しては一面的な見方しかされていない。しかし、ウメちゃんの語りと奥さまの客人に対する思いの差異を比較することで、ウメちゃんの語りの死角が見いだされ、笹島たちの状況やそれに対する奥さまの同情の深さがより詳しく見えてくるようになる。また、笹島たちや奥さまへのウメちゃんの語りの死角を見出すことによって、結末部分の解釈や、奥さまとウメちゃんの関係についても新たな視点を与えられるのではないだろうか。そしてその視点は、それまでの〈女語り〉による女性表象とは対照的なものである。

「饗応夫人」は、「奥さま」が偶然出会った夫の旧知である笹島を家に招いたことによって、彼の客人としてのふるまいが日に日に激化し、自己犠牲をしてまで饗応を続ける奥さまの姿を、使用人の「ウメちゃん」が語る体裁をとった小説である。他作品の登場人物と比較すると、客人への同情を見せながらもその暴力的ともいえるふるまいに飲み込まれていく奥さまを、「冬の花火」の「あさ」のような戦後における〈衰退していく母〉の系列に、それを現実的に見つめる語り手のウメちゃんを『ヴィヨンの妻』の「サッちゃん」のような〈現実生活者としての女性〉の系列にそれぞれ位置づけることができるだろう。

語り手のウメちゃんは、奥さまの激化する饗応に対して、結末を除くほとんどの場面で無理解を貫いている。ウメちゃんの無理解は、奥さまが客人を出迎える場面で繰り返される「泣くやうな笑ふやうな不思議な」[10]声という描写に端的に現れている。ウメちゃんが「泣くやうな笑ふやうな」という相反する言葉を同時に用いて形容しているのは、奥さまの来客に対する感情をうまく読み取れておらず、感情をどちらかに定めて形容することができないからだ。また、「不思議な」という語は、奥さまの態度や声色を表す語であると同時に、ウメちゃんが奥さまについて理解できない部分があること、疑問を感じていることをも表している。加えて、お客が来る前の緊張感、また、来客に対して断ることができない奥さまの弱者性を「小鳥のやうな感じ」という比喩を用いて形容している。この比喩による形容は、奥さまの無力さを印象付け、ウメちゃんが奥さまの庇護者の位置から語っている。また、ここでは、奥さまの無力さが「小鳥」という動物を用いることによって戯画化されていると同時に、ウメちゃんには理解不能である、違った種族であるといったニュアンスも読み取れる。

また、ウメちゃんが奥さまの饗応に対して良い印象を持てないのは、暴力的な訪問を繰り返す笹島たち客人への嫌悪感である。奥さまは「小鳥」という比喩をもって形容されたが、笹島をはじめとするお客に対しては「狼たち」と、同様に動物を用いて喩えている。これによって、来客の暴力性が強調されていると同時に、ウメちゃん自身がやはり分かり合えなさを抱えていることや、話の通じない相手であるといった印象が、動物という人間とは別の種族による形容によって表されている。

 ウメちゃんは奥さまに対してはお客に対して持っているまでの嫌悪感をあらわにはしていないが、両者に対して同様に動物による修辞を行っていることから、程度の違いはあるものの、共通の分かり合えなさや理解の出来ない部分を持っていると推測できる。

お客に対して、ウメちゃんは話の通じる相手だと考えていない。一方的な訪問によって、奥さまを暴力的に苦しめるだけの存在だと考えている。そのため、ウメちゃんの語りでは、お客に対しての嫌悪感のみを表す。この点は、『ヴィヨンの妻』の「サッちゃん」や、「おさん」(昭和二二年十月)の語り手「私」と同様、登場人物への無理解を表象する語り手と言うことができる。

 『ヴィヨンの妻』の「サッちゃん」にとって、その夫の「大谷」の、家庭に対する恐れや苦悩が死角になっていたのと同様に、「饗応夫人」の語り手ウメちゃんにとっても、「やけくそ」や、「自分でも生きてゐるんだか死んでゐるんだか、わかりやしない」という笹島の嘆きや客人たちの苦悩、また客人たちの奥さまの客人たちへの思いが死角になっている。奥さまは、来客の拒否ができないという弱さを持つ一方で、「みんな不仕合せなお方ばかり」や、「私の家へ遊びに来るのが、たつた一つの楽しみなのでせう」といった、お客に対する共感や同情も見せる。ウメちゃんのような対話不可能な存在ではなく、奥さまはお客たちの事を一様に不幸な身の上であり、施しをしなければならないという感情を抱いている。訪問が「たつた一つの楽しみ」だと推測する奥さまのお客への認識には、お客に対する哀れみと、自分が頼りにされているという義務感のようなものも垣間見える。

その語り手ウメちゃんの死角が、結末部の二つに引き裂かれた奥さまの切符に象徴されている。ウメちゃんは「奥さまの底知れぬやさしさ」を知り、「呆然となる」。ウメちゃんが奥さまの一連の饗応の行為を「やさしさ」と認めたのは、小説中でこれが初めての事である。加えて、「他の動物」と対比して、「人間といふもの」の「貴いもの」を生れてはじめて知ったような感覚を得る。これまでの語りの中でウメちゃんがお客や奥さまに対して繰り返してきた動物の比喩は、ウメちゃんの理解の出来ない範囲であることの表れであった。しかし手配した切符が引き裂かれているのを目の当たりにし、自分の忠告が届かないほどの奥さまの饗応に対する決意の固さや使命感を知って呆然となるほどの衝撃を受ける。それにより奥さまの饗応という行為を、奥さまの捨て身の自己犠牲を人間の貴さであると解釈しはじめる。ウメちゃんは今まで持っていた論理を捨て、自分の切符をも引き裂く。奥さまへの共感と同調が生まれた瞬間であり、同時に、奥さまの自己犠牲に加担することへの意志の表れで小説は締められてゆく。

ウメちゃんは饗応を続ける奥さまと暴力的な訪問を繰り返す客たちの双方に対して無理解を貫きながら、奥さまに協力をしたり、饗応をやめるように忠告をしたり、奥さまと家を守ろうと尽力していた。しかし物語の結末部で、手配した奥さんの切符が二つに裂かれてしまうことにより、ウメちゃんの尽力は無に帰すことになる。この結末は、一方では奥さまとウメちゃんの絶対的な他者性、決裂を示している。しかし他方で、ウメちゃんが奥さまのやさしさを知り自らの切符をも引き裂くことで、ウメちゃんから奥さまへの哀れみや共感可能性も見出される。この他者性と共感可能性の両義性は、その後の物語の予測にも繋がっていく。小説はウメちゃんが切符を引き裂き、マーケットへ買い出しに行く場面で終わるが、その後の二人の暮らしがどうなっていくかという展開の予測によって結末に対する読者の評価も変わるだろう。一方では、饗応の暴力から逃れる最後の機会を逃したことで、奥さまもウメちゃんも生活を破滅させてしまうという悲劇的な結末が予測される。しかし、他方では、ウメちゃんの言う「底知れぬやさしさ」や「貴いもの」という言葉からある種の美しさ、明るさを見出し、奥さまにウメちゃんが加担することから生み出される二人の協力関係の美しさや、さらには客たちとの良好な関係の模索も行われるかもしれない可能性も予測される。このような展開の両義性が、結末部のウメちゃんの逆転から導かれていく。

 この無理解から生まれる連帯というある種の矛盾的な関係は、小説の結末に絶望の中の希望を描き出し、どこかに清々しさの読後感をもたらす。また、ここで先に見た〈女語り〉による女性表象の系譜における他の小説と比較をすると、裏切りのテーマではなく、〈女同士の連帯〉が主題となっている。戦後において、「不仕合せなのはあなただけでは無い」と言えてしまうようなある種の理不尽な状況の中で、女二人だけが遺された家でのウメちゃんと奥さまの連帯が小さな希望を灯している。

 

 

「饗応夫人」においてのウメちゃんと奥さまの二人の関係性は、主人と使用人である点、そして何より無理解から生まれている点で、母娘関係や夫婦関係といった、裏切ることが可能になってしまう関係とは異なっている。血縁や婚姻制度に依らない関係ではあるが、彼女たちの共闘者的な〈女同士の連帯〉は、近年のフェミニズム研究で言及される「シスターフッド[11]を想起させるが、彼女たちには互いへの無理解があるからこそ、強く結びつくのではないだろうか。また、戦後の「嘘」や「欲得」といった暗部が女性に仮託され、中期の〈女語り〉の小説からある種歪んだ女性表象がなされている一方で、〈女語り〉の系譜の最後に〈女同士の連帯〉が描かれていることは、女性に託された祈りや救いとしても読み取ることができよう。

(本文 5979字)

 

[1] 「裏切りのテーマ」についての記述は、安藤宏太宰治 弱さを演じるということ』(2002年、筑摩書房)から着想を得た。

[2] 太宰治「女生徒」(岩波文庫富嶽百景走れメロス』1999年改版、2007年2月第63刷)

[3] 太宰治「葉桜と魔笛」(ちくま文庫太宰治全集2』1988年9月第1刷)

[4] 太宰治冬の花火」(ちくま文庫太宰治全集8』1989年4月第1刷発行)

[5] 太宰治『斜陽』(『太宰治全集』第9巻(1967年3月、筑摩書房

[6] 野原一夫『回想 太宰治』(1980年、新潮社)

[7] 奥出健「『饗応夫人』」(神谷忠孝、安藤宏編『太宰治全作品研究事典』、1995年、勉誠社

[8] 飯田祐子「二重の「女装」――「饗応夫人」論」(山内祥史編『太宰治研究』15、2007年6月、和泉書院

[9] 大國眞希「太宰治作品に見られる音色の種類」(『太宰治スタディーズ』 第6巻 2016年6月 「太宰治スタディーズ」の会)

[10] 太宰治「饗応夫人」(『太宰治全集』第9巻(1967年3月、筑摩書房

 以下の「饗応夫人」からの引用も、同書からの引用である。

[11] 上野千鶴子『スカートの下の劇場』(1992年、河出文庫)を参照した。