声の採用―太宰治「恥」についての検討―

 

 

◆先行研究

 創作集『女性』の全作品を取り上げた渡部は、「恥」については、「発表当時の反応はなかったようだ。現代でも特にとりあげられる作品ではない」と記述している。個別の作品論は佐々木啓一の『太宰治論』内、「『恥』――自閉のなかの告白の演戯――」が初めのようだ。『太宰治作品研究事典』で、鈴木が研究史を以下のように簡単にまとめている。

 

 読み軸を小説家戸田の側に据える傾向が、しばらく目立った。奥野健男太宰治』(昭和四十三年三月、文芸春秋社)は〈作家の表現と実生活の差をテーマにしたもの〉とした。(中略)いずれも小説家戸田の側に立って、語り手〈私〉を否定的にとらえる読みであった。

 これに対し、鈴木雄史「太宰治『恥』の正しい誤読者」(平成五年九月「論樹」)は、〈私〉の側に〈一片の正当性〉を見ようとした。

 

 先行研究を見ると、「「戸田」と「私」のどちらの視点を据えるかによって作品への評価も違ってくる」(何2012)。

 異なった主張をする二者のどちらに肩入れするか、すなわちどちらの視点を採用するかによって作品全体の見方が異なるのは興味深い。そのような二重性を含む仕掛けが作り出されている。

 本論では、この仕掛けにひとまず加担してみることにする。戸田と和子(=私)の両方の視点を一旦採用してみることで、「作者」というテーマ性に注目する。

 

◆戸田について

A)太宰=戸田という思い込み

 「恥」という作品のプロットにおいて、大きな見せ場となっているのは、和子による“小説家戸田”のイメージが誤りであったことが露呈する場面である。和子は、戸田の小説を、「御自分の貧寒の事や、吝嗇の事や、さもしい夫婦喧嘩、下品な御病気、それから容貌のずいぶん醜い事や、身なりの汚い事、蛸の脚なんかを齧って焼酎を飲んで、あばれて、地べたに寝る事、借金だらけ、その他たくさん不名誉な、きたならしい事ばかり、少しも飾らずに告白」(p.325)したものであり、小説内の登場人物に描写に作者である戸田自身の生活を重ね合わせる。だからこそ、「貴下にお逢ひする迄もなく、貴下の身辺の事情、容貌、風采、ことごとく存じて居ります」(p.325)とまで言うことができる。

 ここには、和子が、小説の作者は自分の身に起こったことから導き出された自分の言説、主張を小説に書くものであるといった前提がある。つまり、作者の日記や伝記に手を加えたものが小説である、ということも過言ではない。このような作者と作品を密接に結合させて作品を読み解く行為は、二十世紀半ばにロラン・バルトによって転覆せられることとなるのだが、そこにおいて彼は以下のように指摘する。

 

現代の文化に見られる文学のイメージは、作者と、その人格、経歴、趣味、情熱のまわりに圧倒的に集中している。(中略)つまり、作品の説明が、常に、作品を生みだした者の側に求められるのだ。あたかも虚構の、多かれ少なかれ見え透いた寓意を通して、要するに常に同じ唯一の人間、作者の声が、《打明け話》をしているとでもいうかのように。(バルト1968)

 

 「恥」における批評でも、初期のものには、この種の批評を超えることはなかった。つまり、和子が戸田の小説における登場人物を戸田自身だとみなしたように、批評では、小説家戸田を太宰の分身として考え、太宰の主張が戸田にそっくりそのまま表れているかのように読む視点から抜け出すことはなかった。例えば、奥野健男は、『定本太宰治全集第四巻』の「解説」のなかで、「作家の表現と実生活の差をテーマにしたもので、自分に対する世間の誤解を、女性読者の手紙体によって晴らそうとしたもの」だと論じる。また、その奥野に対し、渡部は「ここに描かれた〈作家太宰治〉もまた、虚構なのであって、現実の太宰であるわけではない。そういう二重の意味での〈表現〉と〈実生活〉との関わりが、ここには描かれているのである」(渡部1991)と修正する。しかし、この修正も、戸田を虚構としての「〈作家太宰治〉」として読む姿勢が残っているという点で、〈作家太宰治〉の作家性から脱け出しきれていない。

 

B)先入観の利用

先述した通り、和子は小説家戸田と、その作中人物を同一視して、そこから発生した行為が彼女に恥を抱かせるに至ったのだが、その仕掛けもおそらく戸田の側で用意されたものだと考えられる。つまり、戸田が同じような生活破綻者に分類される登場人物を何度も作中に登場させるなどしたことによって、彼女が“同じ人物(=戸田自身?)のことを作品に描き続けている”と勘違いしたのではないかということだ。これは、「今月の『文学世界』の新作」(p.327)のような、継続して作家が新作を発表することのできる媒体によって可能になっている。

戸田のこのような仮人格の確立は、どのような意図でなされたものであるのか。答えは戸田が出した葉書の「いつたい人間は、自分で自分を完成できるものでせうか」(p.329)にあると主張したい。これは一見和子の言葉への皮肉のように見えるが、戸田の和子の拒絶の姿勢から、自身の理念が垣間見えたようにも思われる。現実において、人間の人格を完成させることは極めて難しいことなのだが、作品世界では別である。「作者」のイメージを作りだし、それに当てはまるような人物を描き続けることで、「作者」という一貫した像を製造することができるのだ。「全部フイクシヨン」(p.333)にすることで、かえって傷のない作品世界を生みだすことが、戸田にはできている。

だからこそ、和子は戸田の作品に「底に一すぢの哀愁感」(p.326)といった、いわば通奏低音のような、一貫した特徴を見出し、戸田の作品、ひいては「作者」である戸田自身に入れ込むことになる。この「作者」性の利用によって、戸田の作品世界は成功しているのだ。

 

C)「作者」の特権・演戯性

 このような戸田の試みを、佐々木は「小説という所謂虚構の世界で、読者のひとりである和子に、「悪魔」といわせるほど、見事にたぶらかす演戯ができたことになるのである」(佐々木1988)という。このような演戯性のみを取り出せば、第一創作集『晩年』や『人間失格』に関わる、一人称で自身の道化性やそれに対する悲哀を滔々と語るがままにする、自意識過剰の文体における語り手と共通する性質を持っていると言えそうである。

 だが、この共通性は同じような形で前景化されていない。例えば、『人間失格』の語り手葉蔵は、最後にその道化は神様のようだったと形容されるが、「恥」では戸田は対照的に和子によって「小説家なんて、人の屑よ。いいえ、鬼です」(p.324)と非難される対象になる。一読した戸田への印象は、葉蔵に対するバアのマダムのそれというよりかは、和子の抱くものに近い、“なんだか嫌なやつ”というものがあったのではないか。

 その原因は、戸田の無関心な態度によるものである。和子の誤読を一笑に付して相手にしなかったり、和子からの手紙を送り返すときに一言も付さなかったりなど、戸田の和子への態度は一貫して冷淡である。和子の感じた「恥」は、とどのつまり、勘違いをしてしまったことよりも、戸田に何をしても一貫して無関心にあしらわれてしまったということに起因する。鈴木は、こうした無関心な男の態度をサムエル後書のアムノンの態度と重ね合わせて、「いずれにしても、女の受けた辱めは、関係を断とうとする男の無関心がもたらした」(鈴木1993)と戸田の側に責任を認める。さらに、サムエル後書が初めに持ち出されることによって、

 

辱めを受けた悲哀の処女と対になる許すまじき悪業の男というイメージが、冒頭から立ち上がり、戸田と重ねられる。いわば理屈抜きのイメージ戦略によって、悪いのは男でそれは弁解の余地がない、と真先に印象付ける仕掛けなのである。

 

と指摘する。

 このような悪者としての小説家を登場させることによって、「作者」の持つ特権の邪悪性が露呈する効果がある。小説を「作者」の作品とみなすことによって、作品群の一貫性は担保されるが、同時に確固たる「作者」の所有物となり、「作者」の意図していない読みは誤読・勘違いとみなされることになる。作品世界の隙のなさが、かえってあらゆる解釈の可能性を狭めてしまうことになるのだ。

 また、このような「作者」の想定によって、作品を創作できる「作者」を、「作者」の意図した読みのみを享受する「読者」よりも上に置かざるを得なくなるような権力構造が出来上がる。そのような形で、解釈の周縁に置かれてしまった「読者」の悲嘆の声を取り上げることによって、「恥」では、そのような権力階級を脱構築する試みがある。

 

◆和子について

A)タマルなのか?

 前項において、サムエル後書におけるアムノンとタマルの関係を、「恥」における戸田と和子の関係にそのまま当てはめる読みを掲げたが、翻ってそれを疑問視することにする。なぜなら、タマルと和子の行為には差異があるからだ。

 サムエル記において、タマルが行ったのは、病床の兄に対して「粉を取ってこね、彼の目の前でレビボート菓子を作って焼」(p.219)くという、いわば“献身”の行為である。この“献身”は、アムノンの要求によってなされていることから、“受動的な行為”ということができる。

 一方で、和子の行為は、“献身”に当てはまるものが少ない。確かに、「私は若い女性ですから、これからいろいろ女性の心を教へてあげます」(p.328)や、「お苦しい事が起つたら、遠慮なくお手紙を下さい」(p.328)などの文言は一見すると自分の身を相手のために捧げる行為に見えるが、ここでは、戸田はそんなことは望んではおらず、むしろありがた迷惑といったようなものなのである。このような“能動的行為”という点で、タマルとは異なる性格の行為である。

 そのような観点を持てば、冒頭の「わかい女は、恥づかしくてどうにもならなくなつたと時には、本当に頭から灰でもかぶつて泣いてみたい気持になるわねえ。タマルの気持がわかります」(p.324)のタマルへの同情や、最後にもう一度繰り返される「頭から灰でもかぶりたい」(p.334)などの感傷は、ある種の大袈裟なポーズのようにも見えてくる。つまり、タマルと自分を同一化させることにより、自分を哀れな弱者、被害者の立場に置こうと企図したい和子の作為が見えるということである。

 

B)和子への非難

 悪者としての戸田というキャラクターを登場させているにもかかわらず、先行研究の初期のものは、和子を作品内と実際の人物の区別がつかない誤読者として、和子の非を追求する論が大半だったのは注目に値することである。それは、戸田へ宛てた手紙の語気の鋭さに主に端を発するものであろうが、どことなく、戸田だけでなく和子も“なんとなく嫌な奴”だという印象を与えるのではないだろうか。

 ここで論点に挙げるならば、和子を擁護しようとする論が書簡体という語りの形式に着目している点である。何は、和子の友人である菊子への呼びかけが多く用いられていることから、「このように、「菊子」の「同情を集め」ようとしている「私」の語りを追っていく読者は無意識のうちに、この「無知な女」の言い分に耳を傾けようとし、「可哀想な」「私」の〈一片の正当性〉を見出そうとするのである」(何2012)と主張する。また、同様に、鈴木も「「私」・菊子の親しい仲との対照によって、「私」戸田の疎遠さが浮上する。だとするならば、菊子への呼び掛けは、繰り返されるたびに、「私」から見た菊子と戸田の差異を語り続けていることになる」(鈴木1993)と言う。この二者に共通する前提には、“読者が菊子の立場である”という点がある。つまり、送り主である和子とある程度親しい仲にあれば、彼女の側に肩入れすることができるのだ。

 この前提に立たなかったのが、初期の先行研究の立場なのだと思う。戸田に注目するからこそ、和子自身に共感することができず、彼女の高圧的な物言いや、自身の女性性を高く見積もる見方に賛同できない部分が大きくなったのだ。

 すなわち、書簡という、本来は私的な内容であるはずの場における語りが、小説に用いられていることで、その語りの内容を擁護できるか否かということが変わってくるのだ。和子にとっての菊子と同じような立場にとって読み進めていった読者にとっては、和子が自分に宛てた書簡を読んでいるような目線になるため、和子の側に立って物事を見るようになる。一方で、そのような読みをしない読者にとっては、私的な内容であるはずの書簡を公的な言説に近いものとして受け取ってしまい、和子の意図とは齟齬が生まれてしまうため、和子と同じ視点を共有することができないのだ。

 重要なのは、戸田と和子どちらが客観的に見て正しいということではなく、どちらの視点を採用するかによってそれぞれの人物に対する見方が変化していくということである。

 

◆使用テクスト

太宰治「恥」(『太宰治全集第四巻』、一九八九年、筑摩書房、pp.324-334)

旧約聖書Ⅴ サムエル記』(池田裕訳、一九九八年、岩波書店、pp.216-221)

◆参考文献

太宰治全作品研究事典』(神谷忠孝・安藤宏編、一九九五年、勉誠社

何資宜「太宰治「恥」試論--〈愛読者〉と〈誤読者〉のあいだ」(『現代文学史研究』 16, pp.54-62, 二〇一一年、現代文学史研究所)

ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光訳、一九七九年、みすず書房

渡部芳紀「創作集の検証『女性』――女の独白形式」(『国文学 解釈と教材の研究』、一九九一年四月号)

佐々木啓一『太宰治論』(一九八八年、和泉書院

鈴木雄史「太宰治『恥』の正しい誤読者」(『論樹』平成五年九月号、pp.84-93)