書いた小説をのせています。

発願

 鳩は基本的には好きな鳥である。基本的には、というのは語弊がある、彼ら・彼女らが地上にいる限りは良いやつらだと思っている。個体ごとに微妙に異なっている色彩の感じ、外界からのほんの些細な刺激で神経質に飛び回る様、歩調に合わせて自然にどうしようもなく連動してしまっているようにしか見えない首の曲折、どれも目を引くものだ。しかしその愛嬌あるいは微笑ましさは彼らが地上に二本の足をしかと着けているときのみであって、彼らがその翼をもって頭上を飛び回ったときにはもう彼らは見境なくあらゆるものを襲う糞尿爆撃機となるのだ。彼らの爆撃を受けた看板広告は、高明度のその白い汚れをもってして、今もなおレイプ被害を訴える被害者なのである。度々彼らはホームからJR駅構内に侵入し、通勤・通学の人々を混沌の極みに陥れている。最もむごい点は彼らの攻撃が完全なる無差別で行われるということである。彼らのうんこ爆弾は無作為な抽出によってその対象を決定しているため、選ばれた人・物は全くもって運が悪かったとしか言いようがないのだ。つまり、鳩サイドの落ち度はゼロなのだ。

 午睡を楽しんだ後、郵便局へ行く用があったので自転車に乗って近所の大きな公園を通過した。もう学校の授業は済むような時間帯なのだろうか、公園内には寒空の下走り回る子供たちが数人おり、急いでいるわけでもないから減速する。感受性の高い目で見ればこの公園も美しいのかもしれないが、何しろ近所であり、大それた慧眼を持っているわけではないから、公園内の描写は割愛する。しいて挙げるならば、坂が急で自転車の身にはつらかったが、隣を走る犬はものともしないようであり、自転車にも四輪あれば違ったのだろうか、とふと思ったまでである。

 順調に自転車を走らせ、歩道橋に差し掛かったあたりで、ハンドルを握る手の甲の皮膚に何か得体の知れないものに触ってしまった感覚、例えば映画館の暗闇で隣の席に座った人との手が偶然一瞬当たってしまった、例えば鼻血がうっかりとめどなく垂れて伝ってきてしまったような感覚、そのようなものが在り、そしてその新奇な刺激に感覚全てが向けられ、結果として支配され、侵食されていくような感覚、注意を向けすぎるがゆえに、それを肉体・臓物の中に迎え入れることになってしまうのではないかと思ってしまうようなパニックに陥り、遅れて、あーやってしまったという誰も責めることのできない深い悔恨。右手中指第一関節に付いた糞尿は幸いにして量は多くなく、すぐに洗い流せば精神的/肉体的ショックも少なそうである。忘れれば済む話だと自分を説得し、軽く右手を持っていたティッシュで拭く。

 このまっすぐな通りは自転車を走らせやすくて結構好いていたものの、再び同じ目に遭うのはごめんだから通るのを避けようかと考えたときに、そもそも以前もうこの町を出て就職するのだからこの道を通ることは二度とないだろうな、と考え、この場所を見渡す風景を写真に撮ったことを思い出した。二度とないと言われると、妙な反骨心から、二度とないなんてことはないだろうと思ってしまうものの、結局のところやはり今に至るまで訪れることはなかった。さすればこれは夢である。夢の中で糞尿を食らうとは最悪の極みだが、幸いにしてこの身体は自分の所有物ではなく、夢の中のみの借り物に過ぎないようだ。そう安堵すると同時に、これがれっきとした明晰夢であり、それと知りながらまだこの位相に存在できることを不思議に思い、自分が果たして夢と現実どちらに真に身を置く存在なのか、そもそも本体というか、コピー元のような概念は果たして存在するのかと恐ろしくなってしまう。ともかく今のこの身体が嫌になってしまったので、もしあやふやな世界であってもここではない、現実に行きたいと思い、痛みを感じれば目覚めるかと思って自転車のタイヤをがむしゃらに回していると、果たして人間にぶつかった。その人間は倒れたが、衝撃をものともしないようにすぐ起き上がった。やはり恐ろしい世界だ。そしてありがちなことにその人物は中学生のころの自分で、発狂するかと思ってしまうほどの恐ろしさにおののいた。何度見ても、その染めていないままの黒い髪、少し吊った目、部活動で肥大した下半身の筋肉は紛れもない自分のものである。そこで目が覚めた。

 卒業式で泣かないと冷たい人と見なされてしまうらしいが、卒業アルバムを捨てる人間も人でなしな気がするので、何度引っ越しを重ねても捨てることなく、こんなに重くて足手まといで気味と出来の悪い写真集を律義に新居に持ってきてしまう。クラス写真の一番下の段、左から八番目の写真に目を留め、こんな顔をしていたっけと思う。写真を見ないで、記憶を頼りにしてはもう思い出せないその顔は、いまどこで生きているのか、知ろうと思えば不可能なこともないのだが。集合写真で探しても、なんとなくそっぽを向いている写真ばかりで、つまらないと思ったが、一枚だけ笑っている写真があって、女のように美しかった。いつもこうしていればいいのに、と私は写真に語りかけた。